筆者の住んでいるエリアは東京都ですが自然が多くとても生活しやすい街です。
そして閑静な住宅街を少し歩くととても有名な観光地があります。
柴又。
皆様耳にされた事ありますでしょうか?
柴又とは、古くから題経寺(柴又帝釈天)の門前町として知られていたが、映画「男はつらいよ」の舞台となったことでさらに広く認知されるようになった。江戸川の西側に位置し、対岸の千葉県松戸市と矢切地区とを結ぶ渡し船「矢切の渡し」の渡し場がある。概ね住宅地からなり、北には金町が隣接し、北東に金町浄水場が立地する。東は江戸川の対岸に千葉県の下矢切が、南に鎌倉が、西に高砂と新宿がある。帝釈天界隈は、環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。
引用元 ウィキペディア
ちなみに上記の鎌倉と新宿とは
あの有名な鎌倉と新宿とは全く関係のない鎌倉と新宿という地名となります。
柴又といえば寅さん。寅さんといえば東京下町というイメージは全国区となりました。
しかし現在では参道エリア以外に東京の下町らしいイメージの場所は柴又エリアにはほぼないです。
その柴又駅から帝釈天に続く参道だけが柴又の全てであり、その参道から少しでもそれるとただの住宅街が並ぶのが現実。
では、柴又は下町と寅さんが全てで、
それ以外何もないかといえば決してそうではなく、
矢切の渡しや江戸川の整備された土手、東京を代表する日本庭園を持つ山本亭や歴史的木造物の多い柴又帝釈天、夏には江戸川花火大会のお膝元であり、その一キロ幅ほどのエリアに観光スポットが密集しています。
しかし、柴又を訪れると浅草などのように観光客で参道が埋め尽くされる光景には出会いません。
観光地ではありますが参道沿いの料理屋さんはどこに伺っても本当に美味しく、やぶ忠の寅さん定食は筆者もお気に入りです。柴又は食事の面でも他の観光地に引けはとりません。
しかし近年のコロナの影響は、確実に柴又にも大きな影響を与えており、柴又を代表する料亭である川甚が去年閉店したことでも痛感します。川甚は寛政2年(1790年)創業、柴又で文豪達に愛された日本料理店であり、土手から見える大きな看板は柴又の顔でした。
魅力が多いのに、それが十分に伝わらず、
寅さんを知っている50代以上の方だけが訪れる観光地になってしまっているのは非常にもったいなく感じます。
確かに寅さん記念館は寅さんや昭和30年代を知っている人たちからすると楽しめる施設だと思いますが二度も行こうとは思えず、寅さんを知らない世代からすると東京の東の果てまで足を運ぶきっかけにはなりにくいのではと容易に想像できます。
散歩ついでに歩く参道をもっと多くの人に見てもらいたいと思うからこそ
「昭和と寅さんを売りにする事からキッパリと離れた方が将来のために良いのでは?」という考えが頭をよぎります。
筆者が好きな寅さんの有名なセリフで
「夏になったら、鳴きながら、必ず帰ってくるあの燕さえも、何かを境にぱったり姿を見せなくなることもあるんだぜ。」
というものがあります。
かっこいい場面のセリフではなく、喜劇的なセリフでこの一連のシーンからとても幸せでユーモアのある素敵な世界を感じ取れます。
先日は有名ユーチューバーフィッシャーズさんが柴又を PRしてくれてましたがまだまだ足りないと思います(動画見ましたが寅さんネタはもうしない方が柴又のために良いと感じました)
コロナを境にぱったりと姿を見せなくなった観光客が戻ってくるように、ユーチューブやブログやSNSをフル活用して今ある魅力が伝わっていけばと思います。
※筆者は葛飾区民ではなく江戸川区民です。
おわり